集団の構造 - 25時間目  日々を哲学する

 次から次へと起こる出来事に森友や加計問題の真相も遠のいていく。グーグルからのニュースによると、文春砲が安倍昭恵の保育園事業者への補助金問題絡みを報じているが、麻原死刑や西日本の大雨被害があって、テレビ局が追いかけていない。

 麻原はキリスト教者ではないが、死刑となったのはイエスと同じである。これを決定したピラト役は上川法務大臣である。彼女はキリスト教者であったから、複雑な気持ちであったろうと思ったがグーグルニュースでは、死刑執行の前の晩には安倍首相や岸田議員ら自民党議員との飲み会のようなところで笑顔を振りまいていた。パリサイ人や律法学者の宴会のように思えてくるのも妙な話だ。

 イエスが生きていた頃のイスラエルは生きるに苦しかった。食糧の貧困さに加え、律法の厳しさがあった。律法の厳しさは、彫刻も絵画もゆるさず、自然は疫病を蔓延させ、乾いた大地の砂は眼病も引き起こした。税はユダヤ教最高院とローマ帝国から二重に徴収され、反乱を起こすものはことごとく殺された。精神活動と生産活動の苛酷さの中で、人々は良いことが起こらないかと、待ちわびたことだろう。

 オウム真理教はバブルの時期に起こり、バブルの崩壊でサリン事件を起こした。麻原は坂本弁護士一家にポアを命じたことで、結局これによって追い詰められ、武装化していくことになった。引き金を自分で引いたのである。気を通す奇蹟を起こそうと、空中浮遊しようと、そんなことはイエスの時代にもいくらでもあった。

 少なくとも聖書では、イエスは人を殺す命令を出していない。人々の罪苦を一身に負って死んだ。しかしながら、やがてキリスト教徒はアレキサンドリアの例をみてもわかるように、話にならないほど人殺しをした。

 麻原の罪などとるにたらないほどの数であろう。暗黒の中世が始まった。

 麻原も人間の重要な課題がわかっていなかった。集団は集団の意思をもってしまうこと。集団の意思とその中の個人の思いにズレが生じること。猜疑心が生まれること。裏切りがでてくること。集団か抜けたいと思うものが出てくること。そして麻原であれ、幹部のだれであれ、自分が自分を裏切るということ。それらは関係性から起こること。イエスも、麻原もこのことへの問はなかったと思える。

 現代に生きる者なら、あるいは現代の文明生活(電気や水道やガス、車、新聞、テレビなど)の恩恵を受けているなら麻原はすべてを裁判で話すべきだった。麻原はやがて共同幻想と個人幻想の軋の構造に気がついたかもしれない。

 この問題が解かれない限り、戦前の軍事国家にもなり得るし、オウム真理教のような教団も登場するだろうし、日大フットボール事件のようなことも起こるだろう。